2012.12.08

読者も虚構世界を彷徨う「エヴリブレス」

 こういう形で感想を載せるようにしていると、かなり長い間まともに読書していなかったことがバレバレです。 久しぶりに読んだ作品が瀬名 秀明氏の「エヴリブレス」です。瀬名氏といえば「パラサイト・イヴ」に代表される作品群で「生命とは何か」といったことを突きつけてくることが多いのですが、今作ではそれにヴァーチャル世界でのアバターという要素を取り入れてきたようです。
 主人公は久保 杏子。少女期から高校まで大和郡山に住んでいた彼女は、アートという側面で感性の優れた先輩に恋心を描きます。先輩の卒業により彼女の想いは届くことはなかったのですが、やがて成人して金融工学に携わることになった彼女の元に一つの依頼が届きます。それを機に彼女はあるヴァーチャル・ワールドへ足を踏み入れることに...。


虚実入り乱れる展開に脳味噌が振り回された印象です。

 最初に一読して「何が何だか...」という印象でした。一人の女性の100年にもわたろうかという人生の中に、仮想現実の中に別の「自分」がいるという設定。しかも、それが自律的に動くということ。彼女はなぜ「別の自分」との共鳴を絶ったのか、そして彼女が得たものとは...?
 物語の背景も説明してくれてはいるのですが、とにかく想像が難しく作品世界にのめり込めなかったのであまり面白いとは思えませんでした。私は例えばPLAYSTATION LIFEのようなものはやったことがないので尚更です。そのあたりの予備知識がないと楽しめないかもしれません。

2012.10.24

勇気がつなぐ幸せの連鎖「潮風に流れる歌」

 「プリズムの夏」「シグナル」など、爽やかな青春小説が得意な関口 尚の新作「潮風に流れる歌」を読みました。氏の小説の中では「君に舞い降りる白」が特にお気に入り。さて今回の作品は...大きな期待を持って頁を開きました。
 舞台は湘南の高校。主人公は3年生でクラスの中で目立たない存在の律。秘密めいた行動を取る転校生の楓、クラスの中で女王様的存在である美玲、ラグビー部のキャプテンで頼れる真悟、そして腕っ節が強くクラスを牛耳る柳戸の5人の物語です。クラスの裏サイトで繰り広げられるやりとりと、そこから始まる奇妙な人間関係。それを打ち破るのはほんの小さな勇気でした。


多面的な視点から上手く話を作っています。

 現代のネット社会を舞台にした、高校生の話です。一見沈欝な雰囲気に見えますが、それぞれの登場人物が何かをきっかけに前向きに変わって行く姿を丁寧に描いています。一人一人が物語のバトンを渡していく姿は、まるでクラスリレーのような趣が感じられます。
 最後の展開も含め、この爽やかさは貴重な存在といえるでしょう。

2012.10.20

なんだかとても散漫なような...「許されざる者」

 最近またまた集中力が低下し、読書のペースが落ちてきています。そんな中少しずつ読んでいた作品がようやく読み終わりました。辻原 登「許されざる者」上下巻です。
 時は1900年代前半。日露戦争が迫る中、紀伊半島・熊野川河口にある森宮という街に、医師である主人公の槙隆光がインドから戻るところから物語は始まります。彼は美しい姪の西千春と、甥の若林勉とともに活動的な日々を送ります。そんな中、鉱山事故、鉄道の敷設、不審火、遊廓の建設など様々な出来事が起こります。それに対処する中で、様々な人との交流が行われるのでした。


結局、何が言いたいのか、よくわからないままに終わってしまいました。

 なんだか消化不良のまま終わってしまった...そんな感じの作品です。当時の地方都市の姿や、そこに生きる人々をよく描けているとの評判ですが、人の動きがなんだか散漫に感じ、淡々と読み続けるだけになってしまいました。何より主人公があまり魅力的な人物に見えないからでしょうか...。

2012.09.22

ファンタジーかと思いきや「あの日にドライブ」

 長い時間をかけて少しずつ読み進めていた本をようやく読み終わりました。萩原 浩「あの日にドライブ」です。正直あまり面白く感じなかったので、読み終わるまでに随分時間がかかってしまいました。
 元銀行員で今はタクシー会社の運転手をしている牧村。43歳になった彼は会社で上司に刃向かい、再就職までの一時しのぎでタクシー運転手をしていました。ところが現実は厳しく、営業成績は一向に上向きません。ある時、自分が青春時代を過ごした街を通りかかった彼は、「もし元カノと別れず、銀行に就職していなかったら...」との思いがよぎるのでした。


ファンタジーかと思ってたら、ただの妄想物語だった...。

 これは私の勝手な思い込みでしたが、タイトルからは実際に過去にさかのぼるファンタジーかと思っていました。ところが実際は主人公が勝手な妄想を広げて行く物語。おまけに残酷なのは元カノの現在やら、過去に気づかなかった嫌なところなど、それがことごとく否定されて行く。まぁ実際にはこんなもんなんでしょうけど。
 結局、「あの時ああしていれば...」ってただの勝手な思い込みに過ぎないんですね。後悔はするだけ無駄って事なのかも。ため息をつきたくなるような結論ですが、それもまた事実なんでしょうねぇ。

2012.09.15

歴史の必然性に着目した快作「君の名残を」

 ツーリングなどでずいぶん読書の時間が開いてしまいましたが、季節は「読書の秋」に向かっているはず。ペースを戻しましょう。浅倉 卓弥氏の小説「君の名残を」上下巻を列車旅で読み通しました。
  高校の剣道部に所属する白石友恵と原口武蔵。そして友恵の親友、由紀の弟である志郎。彼ら3人はある雷雨の日に突如として行方不明になります。実は3人は現代から八百年前、平安末期の世界に飛び出してしまうのでした。それぞれに歴史上の人物と出会い、自らも著名な人物の役割を演じることになる3人。果たして歴史は現代人の知る通りに進むのか、それとも...?


ちょうど今の大河ドラマが役立ちます(笑)。

 平家物語をベースに、タイムスリップを絡めたいわばSFに近い乗りの作品といえるでしょう。面白いのは、彼らが持つ知識や技量が「世界が変わる必然」として描かれていることです。それが故に大きく時代が動くというのはなるほど面白い解釈です。ちょうど今の大河ドラマが同じ時代を描いていることもあり、予備知識がある状況で読み進められた分サクサク読めました。
 枚数も多く非常に力の入った大作なだけに、最後の終わり方にはちょっと不満が残ります。しかし、結果たる歴史を変えられない以上は仕方ないかな...?

2012.08.19

これぐらいの奇跡なら起こって欲しい「四日間の奇蹟」

 先日読んだ浅倉 卓弥の小説が個人的に気に入ったので、同氏の別の作品を読んでみることにしました。作品は「四日間の奇蹟」、作家の登竜門としてすっかりお馴染みとなった「このミステリーがすごい!」第1回の大賞を受賞したものです。
 将来を嘱望されていた青年ピアニスト、如月敬輔。彼はある事件で身体の一部を失い、絶望の底へ。その事件に関わった脳に障害を持つ少女・千織が天才的なピアノの才能を見せたことから、今は彼女の保護者として治療施設をめぐっているのでした。今回の訪問先は奥深い山中にある施設。二人はここで快活な女性、真理子と出会うのですが、そこで過ごすうちに一つの大きな事件が発生するのでした。


これぐらいの奇跡なら起こって欲しい、そう思いました。

 プロット自体は古典的とも言えるものですが、それが嫌みに感じられません。やや文章が説明的すぎるかなとも思いますが、終盤に向けての盛り上がりは見事。最後のエピソードは「これぐらいの奇跡なら許せるかな」という印象で、あまり突飛な終わり方でなかったのが好ましい。
 巻末書評にあるようにちょっと粗削りなところはありますが、なるほどの一品でした。

2012.08.18

リアル感がたまらない「スギハラ・サバイバル」

 帰省中、近くの書店で見つけたのが手嶋 龍一「スギハラ・サバイバル」。個人的に「歴史に埋もれた話」というところに興味があるため、苦手な金融の話ですが手に取ってみる気になりました。
 第二次大戦開始時、ドイツ帝国とソビエト連邦に左右から侵略されたポーランドに住むユダヤ人の少年、アンドレイと少女のソフィー。彼らの家族は杉原千畝の発行したビザを使い、戦火を逃れて日本にやってきます。そこで二人は松山雷児という少年に出会うのでした。時は移って現代、英国情報部員のスティーブンと米国捜査官のコリンズは、ブラックマンデーや9.11テロ、リーマン・ショックの度に巨額の富が動いていることを突き止めます。その背後には思いもよらないコネクションがあったのでした。


こういう近代史をテーマにした作品は現実感があり、好みのジャンルです。

 こういう歴史をテーマにした作品は、「いかにもありそう」という状況を作ることが肝要です。その点、この作品は綿密な取材の上で書かれたようで、リアリティが感じられます。リーマン・ショックや9.11テロなど、まだ記憶に新しい事件が出てくるのもそれを助長しているようです。そういう点で面白く読めましたし、意外性のある展開もあって一気に読み進めました。
 ただ、最後の終わり方はちょっと物足りない。ここまで真実を追いつめたのが、なんだか拍子抜け。最後まで緊張感を残した方がもっと印象に残ったかな...。

2012.08.15

淡々と何事かを成し遂げる「天地明察」

 帰省時、帰省中に読んだのが冲方 丁の「天地明察」です。冲方氏といえば私的には「蒼穹のファフナー」でお馴染みの存在ですが、その著者が書いた時代小説ということで興味津々でした。また、この作品は「本屋大賞」で話題にもなり、来月には映画が公開されるそう。原作はそれに先んじて読んでおきたかったので、このタイミングで読みました。
 時は江戸時代、4代将軍家綱の時代。碁打ちの名家の長男なれども家を継ぐ必要のない渋川 春海は、江戸のある神社で奉納された算術絵馬に目を奪われます。そこから算術の天才的な存在、関の存在を知り彼に設問を試みようとするのですが、そこでちょっとした失敗をしでかします。時同じくして、幕府の天測に同行することになった春海は、当時用いられていた暦がもはや正確ではないことを知り、それを正すプロジェクトに参加することに...。


天地明察、なるほど本書のタイトルにふさわしい。

 うん、うわさ通りのことはあって、とても面白かった。主人公の春海は朴訥でちょっと間の抜けた人物として描写されていますが、数々の出会いや失敗を経て徐々に成長し、やがて政治面でのパワーゲームの裏を読みきって手を打っていくほどの成長を見せます。その一方で、いかにも江戸娘といった感じのヒロインに最後まで頭が上がらないのが人として面白いですね。時代小説としては刀も商売も出てこない異色作ですが、それでもこれだけ面白い作品が出来ることに驚かされました。

2012.08.05

ロマンと冒険心、恋心が揃った「ロスト・トレイン」

 電車での移動が増えると、それに比例して読書が進みます。最近、私にとってもっとも心地よい読書空間は実は列車の中だったりするのです。なんでなんだろ? さて、今回の作品はそれに関連してか鉄道に関するもの。中村 弦の小説「ロスト・トレイン」です。
 会社員の牧村は趣味で始めた廃線跡めぐりで、平間という名の老人と知り合います。親子ほどの年の差はあれど二人は意気投合、親交を深めていくのでした。ところが平間が失踪してしまい、牧村は彼が最後に残したメッセージをたどり、彼を探し始めます。それは「日本のどこかにまだ誰にも知られていない、まぼろしの廃線跡がある。それを見つけて始発駅から終着駅までたどれば、ある奇跡が起こる」というもの。鉄道ファンの菜月とともに、彼はやがてある列車の元へと辿り着くのでした。


これは面白い。読書の楽しみがすべて詰まった傑作かも。

 舞台が架空の路線であることは明白なのですが、歴史の隙間を上手く使った「さもありなん」という設定で現実感を持たせてくれたせいで興味深く読めました。一見ミステリーっぽいのですが、主人公がごくごく一般的な人物なのでそういった雰囲気もありません。にもかかわらずロマンのある話、冒険の要素、そして恋心がうまくブレンドされた面白さにすっかり魅了されてしまいました。これ、とても映像化し応えのある作品かも。
 最初はマニアックな記載満載ですが、話が進むにつれてページをめくる手が止まらなくなりました。お勧めです。

2012.08.04

上品な儚さ、悲しみ、そして未来「RAIN DAYS」

 読書の間隔がずいぶん空いてしまいましたが、週末を利用して小説を一冊読みました。作品は初めて読む作家、浅倉 卓弥の「RAIN DAYS」です。200頁程度で比較的読みやすく、細切れで読んでも1日で読み切れました。
 公務員を辞め、今は副都心で司法書士を務める川村祐司。彼には情熱も夢もなく、何かを求めることのない凪いだ毎日を送っていました。ところがあることから中学時代の同級生、平野佳織と再会します。彼女に求められるままに同棲生活を始める二人でしたが、なぜか過去を語らない彼女。お互いに求めあっているのは明らかなのに、彼女を失ってしまうことに。あの時、正直な気持ちを伝えていさえすれば...。


最初に仄めかされる結末があるのに、あまりに波乱がなくて応援したくなりました。

 ある意味王道とも言えるストーリーですが、他の作品と異なり奇をてらった仕掛けがない分だけ現実感があります。主人公の凪いでいた生活が一人の女性によって意味のある毎日に変貌していくところがいいですね。最初に悲しむべき結末が待っていること仄めかされているにも関わらず、二人に幸せな未来が待っていることを望まずにはいられませんでした。ただしエピローグに違和感を感じてしまったのがちょっと残念。
 この著者の他の作品も読んでみたくなりました。

2012.07.08

イエスマンが変わるとき「ナツイロ」

 好きな作家の一人である関口 尚の文庫オリジナルの新作が登場、タイトルは「ナツイロ」です。氏の小説は「君に舞い降りる白」「プリズム」「シグナル」など爽やかなものが多く、その作品群はお気に入り。このため読むのを楽しみにしていました。
 田中 譲は大学生で、彼女に振られたところで気を紛らわそうと、愛媛県八幡浜市のみかん農家に住み込みのバイトで出向きます。彼はその農家の娘でいささかぶっ飛んだ格好の一つ年下の女の子、リンと出会います。最悪の出会いでしたが、彼女に振り回されるうちにいつの間にか彼にも変化が...。


リンのしっちゃかめっちゃか振りは読んでいて楽しい。

 これまで氏の作品はの爽やかながらも上品な登場人物が多かったのですが、この作品ではヒロインが思い切りぶっ飛んでいるせいで「楽しい」作品に仕上がっています。一方でこのぐらいの年齢で感じる切なさや空しさもしっかり描かれていて、「あ、その気持ち分かるなぁ」と思えることも多々ありました。
 一方でちょっと後半の話の展開が速すぎて、ちょっと唐突感があったのも事実。そのあたりをもう少し丁寧に描いてくれたらもっと良かったんだけどな...。

2012.06.29

うらやましい究極の同窓会「あのとき始まったことのすべて」

 最初に読んだ小説「100回泣くこと」が衝撃的だった中村 航の最新作が「あのとき始まったことのすべて」。東北列車の旅の帰路に読み切りました。氏の作品は主人公が機械エンジニアであることが多く、そういう意味でも感情移入しやすいのでついつい読んでしまいます。今度のテーマは「同窓会」です。
 東京で技術営業職をしている主人公、岡田は10年ぶりに仲の良かった中学時代の同級生、石井さんと再会します。懐かしい思い出をお互いに語る二人。ブルース好きの柳くん、おとなしかった白原さんと4人でワイワイ過ごした日々が甦るのでした。


これって「究極の同窓会」って言えるんじゃないかな?

 軽妙なタッチで、小説中の会話を追いかけているだけでも楽しめました。ここに登場するみんなは、それぞれいいキャラクターをしていますね。10年経って「実は...」って言えるというのは、なかなか楽しいことなのかも。これって「究極の同窓会」って呼べるのではないかな。ハッピーエンド、バッドエンドだけが話の終わり方ではありませんしね。
 その後の4人がとても気になります。

2012.06.29

遠回りに遠回りを重ねても「いのちのラブレター」

 東北鉄道の旅に持参した作品の一つが川渕 圭一「いのちのラブレター」です。脱サラして医師となった著者本人の体験を踏まえて書かれた小説の一作とのことです。
 新条 拓也は脱サラし、京都で医学生として勉学に励んでいました。そんな時に彼は女子大生の沙緒里と偶然知り合います。つきあい始めて2ヶ月ほど、彼女はいきなり彼の前から姿を消してしまいます。それから数年、見事医者となった彼の前に、再び彼女は現れました。しかし...。


基本的には「すれ違い」物語なんですね。

 結局、お互いに勇気がなかったということなんでしょうね。本当のことを伝えあえていえばもっといい解決方法はあっただろうにと思わざるを得ません。それでもこれはハッピーエンドと解釈できるかもしれませんが、同じ方向を向いたベクトルが重ならないなんて、なんだかものすごくもったいないように思えてしょうがありません。

2012.06.24

不快さ、後味の悪さが残ってしまった「ヘヴン」

 会社の外出や東京へ出掛けた際に、電車で読んだのが川上 未映子「ヘヴン」です。3年前に文学賞を受け話題作となった作品が文庫化されての登場です。
 中学2年の<僕>は、ある肉体的ハンデもあって同級生の苛めにあう毎日。ところが、ある日差出人のない手紙を受け取ります。そこには「私たちは仲間です」と書かれていました。実はこれを書いたのはあるクラスメート。彼女も同じく苛めにあっている存在で、急速に二人の関係は深まって行きます。しかし、ある事件をきっかけにその関係は思いもかけない方向に向かった行くのでした。


「理由なんてない」ということの恐ろしさ。それって救いがなさすぎないか?

 考えさせられる作品ではありますが、あまり後味のいいものではありません。不快さ、後味の悪さが残りますが、一方で「理由なんてない」ということの恐ろしさを教えてくれます。それは「防ぎようがない」からでしょうか。

2012.06.17

自然だけは当時と変わらない「富士山頂」

 小田原からの帰りに読んだのは新田 次郎の「富士山頂」。今年は新田氏の生誕100年ということで、次々と新装版の作品が文庫で登場しています。
 昭和38年、気象庁は防災の観点から富士山頂に世界最大の気象レーダーの設置を企てます。予算が降りてからの熾烈な受注競争、政界からの横槍、技術的な問題、そしてレーダーを設置する3,700m超の過酷な自然条件。それらを克服しながら完成に近づいていく男達の姿を描いています。


記録文学の傑作とのこと。著者の体験を元に書かれた「私小説」だそうです。

 一つのプロジェクトには大勢の人間が関わります。当然、立場や考え方も全く異なる人がいるわけで、それを一つの結果に結実させるには強烈なリーダーが必要になります。規模が大きくなればなるほど、その難易度は増し、リーダーには想像を絶するプレッシャーが襲うわけです。この作品では、山が主役というよりは筋の通し方に力点が置かれているように思えます。結果は出ましたが、その後のエピローグにわびしさを感じました。

2012.06.17

冒険心を呼び覚ます「つぶやき岩の秘密」

 新田 次郎の小説「つぶやき岩の秘密」を読みました。新田次郎氏といえば山岳小説で著名ですが、意外にもこの作品は海が舞台。しかも主人公が小学生ということで、これまで読んできた作品とはずいぶん趣向が異なっています。
 両親を幼い頃に亡くした少年・紫郎は近くの海の岩場で波の音を聞くのが好きでした。ある時、彼は崖の半ばのありえない位置に老人の姿を見ます。先生やその兄とともに、その人物がどこから来たのかを調べ始めます。実はその場所には旧日本軍の要塞跡があり、金塊が隠されているという噂がありました。少年の冒険が始まります。


久しぶりに冒険心が呼び起こされました。

 旧日本軍の作ったトンネルや謎の暗号など、ワクワクする要素盛りだくさんで、久しぶりに「冒険心」が呼び起こされました。こういうのってロマンがありますよね。一方で最近は戦争から時間が経ってしまい、こういったシチュエーションが設定しにくいのも事実。こういう作品はもう書かれることはないのでしょうかね。
 登場人物も限られ、展開もスピーディなので気負わずに読める楽しい作品でした。

2012.06.10

その気持ちさえあれば「渋谷に里帰り」

 梅雨時は読書が進みます。土日と都心方面に出掛けたのですが、その際に電車の中で読んだのが山本幸久の「渋谷に里帰り」です。ずいぶん前に購入していたのですが、他に読みたい本もたくさんあって順番が後になっていました。
 主人公は峰崎稔、都内の食品会社に勤める国立大卒の32歳、独身。かつてはホープとして期待されたものの、現在は営業課で「なんとなく」仕事をこなす毎日。そんな彼に寿退社するやり手の年上女性社員の業務を引き継ぐよう、異動が言い渡されます。彼女の担当地区は小学校時代に自分が住んでいた渋谷。実は彼には渋谷にあるトラウマがあったのでした...。


今風の醒めた目線で書かれていますが、「人が変わる」ということがわかる作品です。

 さわやかな読み口でした。先輩社員とそのクライアントを回るうちに、自分でも気づかず「成長していく」主人公。あくまで本人目線で文章は書かれているためあまり目立ちませんが、一歩引いたところからその行動を眺めていると「仕事を通じて人が変わっていく」のがわかります。解説にも書かれていますが、「負けるもんか」という気概は私もとても大事だと思う。
 決してドラマチックではない日常でも、ささいなことに気づくだけで自分は変わることができるということを信じたくなりました。

2012.06.02

精神の弱みがあれば、何でも心理戦になる「笑うなら日曜の午後に」

 身延線の旅に持参したのは、初めて読む作家、中原まことの小説「笑うなら日曜の午後に」です。小説にしては珍しくゴルフをテーマにした作品です。正直、私はゴルフがテレビで放映されていても全く興味はないのですが、ゴルフが技術や体力だけでなく駆け引きを使った心理戦の側面が大きいことはわかっているつもりでした。それがどう表現されているかが見どころと思って読みました。
 四十代半ばとなったプロゴルファーの大滝清一。彼は苦労の末プロテストに合格したものの、成績は鳴かず飛ばずでそろそろ足を洗おうかと思っていました。しかし、最後にしようと参加したトーナメントで彼にはツキも味方し、3日終了時点で首位に立つという絶好のポジションに。そんな彼に立ちふさがるのは研修生時代に面倒を見ていて、今はトッププロとなった久世。大滝は久世の追撃をかわして逃げ切ることができるのか?


最終日前半の緊張感があっさりしすぎの感はあるけど、どんでん返しもあって面白かった。

 前半はここに至るまでの過程が断片的に描かれ、後半はピリピリとした緊張感の中で試合が進んで行く様子が描写されています。慣れないポジションに舞い上がってしまう彼を現実に帰すのはキャディと、彼の祖父のノートという仕掛けでした。キャリアが長くなるとあるんですよね、「こんなに上手くいくことがあるのか」というほど当たることが。私も弓道をやっていた時に数回経験したこともあります。ただ、それが続かないのが悲しいかな現実だったりもするのです。 そんな主人公の葛藤にかつての自分の経験が重なり久々に感情移入できました。

2012.05.28

最後に到達したところは?「1Q84 BOOK3 <10月〜12月>」

 いよいよ最終部です。文庫本の発売日に購入し、翌日の有休をまるまる使って完結編を読み切りました。「1Q84 BOOK3 <10月〜12月>」前編・後編です。
 二つの月がある1Q84の世界でお互いの存在を意識した青豆と天吾。全く接点を失った2人が接近するきっかけを作ったのは、実に意外な人物でした。高円寺の狭い町を舞台に繰り広げられる二人のニアミス、果たして二人は再会することができるのか。そして、1Q84とは一体何なのか...?


意外な人物がキーパーソンに。そしてついにフィナーレへ。

 全3部の最終部です。1部と2部では青豆と天吾の物語が交互に繰り返され、徐々にその距離が埋まってくるという描き方でしたが、最終部ではここまでに登場したある人物から見た物語が加わります。まずその意外さに驚きました。終局に向けて物語がどんどん加速して行き、ついにフィナーレ。この終わり方って正解なんだろうか?というのが読み終えての第一印象でした。もちろん答えはありませんが、長々と引っ張ってきてのこの結末にはちょっと脱力感があります。この物語から自分が何が引き出せるのか、逆に問いかけられているような、そんな気がします。
 数年後に読み返せば、また違ったものが見えるのかな?

2012.05.26

物語は混迷の中に「1Q84 BOOK2 <7月〜9月>」

 2週間かけて次の2冊を読破しました。「1Q84 BOOK2 <7月〜9月>」前編・後編。ほうとうを食べに行った帰りの電車でBOOK1を読み終え、そのまま駅ナカの書店でBOOK2を購入して読み続けました。
 青豆はある老婦人から一つの依頼を受けます。用意を周到に行ってそれに備える彼女でしたが、その先で彼女のおかれた状況をはっきりと説明できる人間に出会い、ある取引をすることに。一方、天吾も身の回りの人々が次々と消え、別の世界に迷い込んでしまったことをある少女から告げられるのでした。


思いもかけないつながりに、読み続けさせられた気分。

 今回読んだのは全6冊のうち中間の2冊。思った以上に物語の展開がスピーディで、どんどん読み進めてしまいました。そろそろ主人公たちがどう絡んでくるのかが明かされ、徐々にその距離が縮まってきているのがわかるので、読む側のテンションもどんどん上がってきています。一方で「現実世界」からのずれが大きくなってきているので、不思議な感覚(一言でいえば違和感)が増してきました。
 なんだかだんだんとおとぎ話の世界に移りつつあるような感覚ですが、いよいよ明日BOOK3が発売になります。どうのような形で物語が終わるのか、とても楽しみです。

2012.05.13

壮大なるプロローグ「1Q84 BOOK1 <4月〜6月>」

 GWの戻りと、休日の電車移動の間に読んでいたのが「1Q84 BOOK1 <4月〜6月>」前編・後編です。2009年に刊行されて社会現象になった村上春樹の小説です。文庫化を機会に読んでみることにしました。
 都内のジムでインストラクターとして働く青豆と、小説家を目指す予備校講師の天吾。彼女と彼はそれぞれに幼少時代のトラウマを抱えていました。青豆は過ごす日常が本来あるべき姿からずれていることを感じるようになります。一方、天吾はある依頼を引き受けたのを機会に、やがて社会の知られざる部分を垣間見ることに...。


社会現象になった話題作、ついに文庫に降臨。しかしまだ物語は序章だけ。

 予告では6冊で完結するようなので、2冊読み終えてもまだプロローグですね。このため感想といっても書きようもないのですが、これだけの分量があっても物語の贅肉感がないのはさすがですね。どの部分がこの後の展開の布石になっているかがわからないので、1ページなりとも読むのに気を抜けません。
 久しぶりに読書欲を刺激してくれる作品。後編は出先からの帰りの電車で読み終えたのですが、なんとも続きが気になって駅ナカの書店でBOOK2を購入してそのまま読み続けてしまいました(笑)。

2012.05.03

結局、何だったのかよくわからない「ポケットの中のレワニワ」

 GW中の2冊目は伊井 直行の長編小説「ポケットの中のレワニワ」です。
 主人公、安賀多はコールセンター業務を請け負う派遣社員。三つ目の派遣先で彼は小学校の同級生、町村桂子に再会します。実は彼女はベトナム人とのハーフで、本来の名前はグェン・ティ・アンなのですが、彼だけは彼女に「ティアン」と呼ばせることを許されるのでした。その一方で彼女は上司、今一つ近づけそうで近づけない二人でしたが、同じベトナム系の同級生と再会してから、何か彼女の様子がおかしくなっていくのでした。アガタは彼女の心を掴むことができるのか...?


うーん、なんだかよくわからない話だったな...。

 物語の起承転結でいうと、なんだか「承」の部分が妙に少なくて、「転」がやたら長いといった印象でバランスがいまひとつの感があります。その「転」もかなり唐突で、何が起こったのかがよくわかりません。おまけに話の中に出てくる「レワニワ」なる存在が理解できなかったので、ますます読んでいて混迷に陥ってしまったというのが正直なところです。
 なんだかものすごく消化不良な印象のある小説でした。

2012.04.28

一流の見識と二流の才能に苦しむ「評伝シャア・アズナブル」

 たまには読書も真面目一辺倒ではなくて力を抜いてみましょう。前々から読みたいと思っていた本が、待望の文庫化されたのです。作品は皆川 ゆか「評伝シャア・アズナブル <赤い彗星>の軌跡」です。
 さて、まずお断りですが「シャア・アズナブル」とは実在の人物ではありません。30年前に生み出され社会現象ともなったアニメーション「機動戦士ガンダム」に登場する架空の人物で、その強烈な個性・印象に残るセリフからガンダム世界を代表するキャラクターです。本書は「機動戦士ガンダム」に加え、その続編である「機動戦士Zガンダム」「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」の劇中でのセリフをモチーフにして彼の生き様や思想、行動の必然性を分析していくものです。


一見オタク向けにも見えますが、内容はビジネス書に勝るとも劣らない...か?

 いやぁ、久々に純粋(?)に読書を楽しみました。なにせ我々の世代はアムロやシャアとともに歩んで来たとも言えるわけです。セリフのほとんどは聞き覚えのあるものですが、その背景を知るにつれ何気なく聴いていたセリフの重みがわかります。そういう面では、今まで自分が十分に作品を理解していたのかどうか疑問も出てきました。
 シャアというキャラクターは、ファースト・ガンダムの後半からはひたすら負け続ける役回りで、その輝きが徐々に失われる様が痛々しかったのですが、それが一流の見識と二流の才能という業ゆえのものという結論は同意できるものでした。

2012.04.08

少しエピソードの数が物足りない「あなたへ」

 日曜日の読書、今回読んだ作品は森沢 明夫「あなたへ」、映画公開も予定されているそうです。
 富山刑務所で作業技官をしている六十三歳の倉島 英二は末期ガンの妻を亡くします。葬儀の後、喪失感をぬぐえない彼の元に、妻からの遺書が二通あることが告げられます。そのうち一通は彼女の生まれ故郷の長崎の漁港へと届けられ、十二日以内に受け取らなければならないとのこと。倉島は自家製のキャンピングカーを駆り、長崎へと向かいます。その旅で、彼は様々な人と出会っていくのでした。


小説としてはちょっとエピソードの数が少ない印象。

 きれいな終わり方でした。旅の道中で知り会う人々がそれぞれに重要な役割を果たすことになるこの作品、ちょっとできすぎのような気もしますけれど、最後の妻からの手紙は泣けます。登場人物に嫌みな人間の出ない、後味のよい小説でした。
 一方で、富山〜長崎という距離から、ちょっとしたロードムービー的展開も期待していたのですが、そちらはちょっと裏切られた印象ですかね。そういう意味からもちょっとエピソードが少ないような感じがしました。映画だったらこれぐらいでもいいんでしょうけどね...。

2012.03.18

ほのぼのの中にピリリと効いた「うさぎパン」

 横浜への往復の間に一冊読み切りました。瀧羽 麻子「うさぎパン」です。この作家の作品を読むのは初めてですが、目を引いたのはその表紙。まるでメルヘンのようです。
 父親がロンドンに単身赴任しているため、継母と暮らしている高校生の優子。彼女はパンを食べるのも作るのも大好き。同級生の富田君と意気投合し、パン屋巡りをはじめることに。それを暖かく見守る家庭教師の大学院生、美和。ところがある日、優子は思いもかけない人と出会うことに...。


ほのぼのの中にミステリー? でもその結末は...。

 全編に流れるのはほのぼのとした雰囲気なのですが、ある出来事を境に雰囲気は一変。なんだかミステリー調に変化しつつも、あくまで主人公の成長に主眼を置いているので上手くまとめているなという印象を受けました。途中で明らかにされる優子の秘密はなかなか衝撃的で、思いもかけない展開でした。ただ、それを受け流せるのは現代の人間ならではなのかもしれません。
 何かが得られたような気もしないけれど、楽しく読めた作品でした。

2012.03.10

最後の急展開に仰天「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」

 片道切符の日帰り列車の旅に持参したのは白石 一文「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け(上)(下)」です。白石氏の作品には私好みの作品が多く、特に「一瞬の光」はお気に入り。このため今回の作品も期待大です。
 胃ガンからの生還を果たした四十代半ばの週刊誌の編集長、カワバタは、ある大物政治家のスキャンダルを追っていました。彼は経済学研究者の妻とはセックスレスになっていて、ある事件を機にわだかまりを持ち続けていました。損な彼に振りかかるのは政界からの圧力、不倫相手との関係、職場の勢力争い、そして再発を防ぐための治療。色々な出来事から現代社会を斜めから見続ける彼に訪れる結末とは?


なかなか読み応えはありますが、難解な作品です。

 とにかく難しい。彼はある事象を捉えるのに、様々な人々の話を引用して読者にその根拠を語っていくのですが、それがともかく幅広い。哲学者や政治家、宇宙飛行士や果ては聖書の登場人物まで。納得できるところもあれば、人によっては「それは違う」と思うこともあるでしょう。それらが怒濤のごとく押し寄せるのに圧倒されました。
 最終局の展開には仰天しました。何の伏線もなしにいきなりそうなってしまうってのはとにかく意外でした。あんまり万人受けではないかなぁ。じっくり腰を据えて読まないと、なかなか理解できなさそうな作品です。

2012.03.04

何となく横溝正史の香り漂う「握りしめた欠片」

 日曜日午後の一気読み。手に取ったのは沢木 冬吾「握りしめた欠片」です。悲劇に見舞われた家族の絆をテーマにした作品のようです。
 東北第2の都市の沖合にある泥洞島に住む高校2年の芒 正平。彼の姉は7年前に行方不明となり、それ以来家族は崩壊をしてしまいます。一方、島を管理する会社アイランド・ガードを取り仕切る杜間は、部下の一人が島内にある観覧車で殺されてしまいます。独自に背後にあるものを探る中、やがて失踪事件との関連が浮かび上がってくるのでした。


なんとなく横溝正史の香りが漂います。現代風ですけど。

 思いもよらなかった結末でした。意外な展開に驚きましたが、一番疑いのない者が犯人というよくあるパターンではあるものの、それをひとひねりしているところで簡単に全貌が明らかにならないようになっています。
 さて、全編にわたって読者を覆うのが沈欝な空気です。舞台が暗いところが多いので、なんだか横溝 正史の推理小説のような雰囲気が漂っています。そういう意味ではどこかで読んだような気がしてしまうのは損な部分かも。

2012.02.25

お気に入り作家のミステリーに唸る「チェーン・ポイズン」

 本多 孝好は私のお気に入り作家の一人です。「真夜中の五分前」「正義のミカタ」などは面白かった。その作品が新たに文庫化されたので、旅のお供でじっくりと読んできました。作品は「チェーン・ポイズン」です。
 あまり名の知られていない週刊誌の編集者、原田は3つのの自殺事件にある共通点に気づき、その原因を調べ始めます。自ら命を絶ったのは妻子を殺された犯罪被害者と、耳の病気に悩んでいたバイオリニスト。そして、会社を辞めたOL。彼らに共通するものは絶望と、それから1年以上経ってからの服毒自殺というもの。一体彼らには何があったのか…?


すっかりだまされてしまいました。思ってもみない結末でした。

 ストーリーは現在と過去を交互に描きながらやがて核心に迫っていきます。最後の展開は正直思いもつきませんでした。思い込みというのは恐ろしいもので、思わず前のページを確認しに行ってしまうほど。よくできたミステリー作品だと思います。
 最後のシーンはなんだかとても映画的。ある面では救いがなく、また別の面では希望が湧いてくる。そんな不思議な結末に唸らされました。好きな作品にはなりそうにはありませんが、久しぶりに読書の充実感は味わえました。

2012.02.19

どこがいいんだかわからない「ラヴレター」

 あまりにも寒いので出掛ける気にもならず、午後は静かに読書することを選択しました。岩井 俊二の「ラヴレター」です。90年代に映画で有名な作品ですが、私はそちらは未見のため小説で初めて知ることになりました。
 神戸に住む渡辺 博子は2年前に婚約者の藤井 樹を雪山遭難で亡くします。三回忌の帰路、彼の実家に立ち寄った博子は樹の母に中学の卒業アルバムを見せてもらい、ちょっとした悪戯心から当時の樹の住所に手紙を出すのでした。帰ってくる筈のない返事が戻り、それから不思議な文通が始まる...。


で、結局のところどうなったのよと思ってしまう私は人の気持ちがわからない?

 短かったのでサクサクと読めましたが...ちょっと物足りない気分です。半ばで種明かしがありますが、要するに勘違いに偶然が重なって話が複雑になってしまうお話。後半は藤井 樹の「本当は...」的な話がメインになりますが、今となってはそれを確かめようもなく、猛烈なフラストレーションが残った印象です。
 ストーリーにも正直ちょっと無理があるかな。

2012.02.18

やがては本物に...ならない「カソウスキの行方」

 最近は長編をじっくり読む集中力が欠け気味なので、なかなか読書が進みません。そこで気分転換に短編を読んで見ることにしました。読んだのは芥川賞作家の津村 記久子の初期の作品「カソウスキの行方」です。
 28歳のイリエは割と仕事のできる独身OL。ひょんなことから左遷されてしまい、閉鎖予定の倉庫に追いやられる羽目に。そこにはアルバイトの他には二人の正社員しかおらず、一人は年下の既婚者。もう一人は年齢は同じだけどちょっと老け気味でとらえどころのない森川さん。支え、張り合いのない毎日を過ごす中、イリエは森川を好きになったと仮定して行動をしていきます。さて、その結末は? 他2編。


人間退屈になると色んなことを思いつくものです。

 こういう展開だとだいたい「やがては本物に...」と思ってしまうのですが、ある意味シュールなこの作品だとそんな終わり方似合わない、ということになるでしょうか。人間、本当に退屈すると色々なことを思いつくものだ、というのが改めて認識させてくれます。でも文体がなんだか淡泊すぎて、作品の印象は薄い...。

2012.01.28

まさに数奇な生涯『「宗谷」の昭和史』

 今度の作品はノンフィクションものです。しかも主人公は人物ではなく「船」。実は「艦艇」といった方がふさわしいのかもしれませんが...。作品は大野 芳『「宗谷」の昭和史』です。
 昭和13年、長崎県香焼にある造船所で、三隻の耐氷貨物船が建造されます。これらはソ連からの発注によるものでしたが、様々な思惑から引き渡しはなされませんでした。やがて太平洋戦争が開戦、そのうちの一隻は特務艦「宗谷」として海軍に編入されます。戦争を切り抜けた後は引揚船として、その任務が終わってからは灯台補給船として活躍する宗谷でしたが、最後にこの船に課せられた過酷な任務とは...。


人をテーマにしないノンフィクションというのも珍しい。でもそれだけの価値がある「船」です。

 まさに数奇な生涯を経た船だけに、そのエピソードには事欠きません。戦争中の生々しい描写や、戦後は貴重な船として北へ南へ運行され続けたこと。そして南極観測船として白羽が立つまでの複雑な経緯。まさに「彼女」の生涯は波乱万丈だったといえるでしょう。
 また、この作品では日本の南極観測自体の紆余曲折にも触れられています。私は北村泰一氏の「南極第一次越冬隊とカラフト犬」を読んだことがありますが、その内容を「プロジェクト」の面から補完する記載があり、そういう面からも興味深い内容でした。

2012.01.20

夢と志を失えば...「夏草の賦」

 久しぶりに司馬 遼太郎の作品を読みました。作品は戦国時代、四国を統一した長曽我部 元親の生涯を描いた「夏草の賦」です。長曽我部氏は土佐の武将で、類い稀なる政治力と一領具足と呼ばれる農民兵を駆使して土佐一国を平定。やがて阿波・伊予・讃岐に攻め込み四国を手中に収めました。地元の人からすれば「英雄」とも呼べる人物です。その業績は同時代の奥州伊達氏や中国毛利氏に遜色ないと思いますが、その後滅亡したこともあり地味な存在になってしまっているのでしょうか。
 戦国時代、岐阜の織田家臣の元に土佐から嫁をもらいたいとの申し出があります。菜々はその申し出を受け、土佐の長曽我部 元親の正室に迎えられます。優れた知略と武力をもって四国を切り取っていく元親でしたが、その前にはすでに中央政権を従えた織田家、そして秀吉が立ちはだかってくるのでした。


明らかになる「郷土の英雄」。しかしその末路は...。

 先にも書いた通り、地味な存在なだけに郷土出身の私ですら元親の生き様はあまり知識としてはありません。ただ「四国の覇者であった」という結果のみで、人物としてどうだったかという点に興味を持って読みました。前半は菜々の目線から、後半は息子の視線から元親像を描くことで、人物の「変化」をまざまざと描ききっています。
 特に「夢と志を失った者」の哀れみとその末路は、感じるところがありました。

2012.01.07

全編突っ込み!「少年少女飛行倶楽部」

 2012年の一冊目は明るく楽しく前向きに。これまでとはちょっと趣向を変えた作品をチョイスしました。加納 朋子著「少年少女飛行倶楽部」です。なんか表紙がマンガチックなので、本屋で手に取る時には躊躇しましたが、たまには能天気な作品でもアリかな、ということで読んでみる気になりました。
 中学1年生になる少女、海月(くーちゃん)は、幼なじみ(=腐れ縁?)の樹絵里とともに謎の部活動組織「飛行クラブ」に入部することになります。そこは変人部長のカミサマや、野球部とかけもち参加のナイスガイがいます。ともかくも部員集めに奔走するくーちゃんでしたが、「なぜ飛ぼうとするのか」という理由がわかってからは、ばらばらのベクトルが一つに集まり始め、やがて驚くべきチャンスが眼前に現れるのでした。


痛快、痛快。全編突っ込みだらけなので、大笑いできます。

 全編、くーちゃんの突っ込みだけで成り立っているような文章。それだけに面白おかしく読めます。ただ、その根底には友達、家族、そして冒険という黄金のピースが入っています。その上、身近にある日常と非日常がバランスよく取り入れられているので、それほど荒唐無稽という感じはしません。
 気楽に軽〜く読むことができる作品です。細かいことは言わず、素直に雰囲気を楽しみましょう。